黙示録20章 - 7つのポイントで説明される大いなる白い御座の審判と第二の復活
Table of Contents
- はじめに
- 第一の復活
- 第二の復活と大いなる白い御座の審判
- 復活とは何か
- 第一の復活の時期
- 不滅の霊的存在への復活
- 審判の時期
- 無知の状態で死んだ者たちへの希望
- 第二のチャンスではない
- 永遠の命または永遠の死
はじめに
多くの男性、女性、そして子供たちが、聖書の真理や神の人生の道を完全に理解することなく亡くなってしまった場合、彼らにはどうなるのでしょうか。彼らに希望はあるのでしょうか、それとも彼らは永遠に失われてしまうのでしょうか。実際に聖書は、これらの人々が復活することを示しています。彼らは肉体的な生命によみがえり、大いなる白い御座の審判というもので裁かれるのです。これこそが神の救いの計画の驚くべき一部であり、多くの人々が永遠に失われたと思われた人々に本当の希望を与えてくれます。このビデオでは、聖書が第二の復活と大いなる白い御座の審判についてどのように語っているかを7つの簡単なポイントで説明します。これらのポイントをすべてご覧ください。そして、私たちや他の誰かを単に信じるのではなく、自分自身の聖書からこれらのことを確かめてください。
第一の復活
第一の復活は、イエス・キリストに忠実で、最期まで忍耐強く信仰を守り抜く信仰深いクリスチャンたちの希望です。この復活は、キリストが再臨するときにクリスチャンたちが死者とともに復活し、不滅の霊的存在として永遠の命を受けることを意味します。第一コリント15章で使徒パウロは、第一の復活を次のように述べています。「肉体と血は神の国を受け継ぐことはできないでしょう。ラッパが吹かれると、死者は朽ちない者としてよみがえり、これは朽ちる者が朽ちない者となり、死ぬ者が不死の者となるためです。すると、「死は勝利に飲み込まれ、主によって命が与えられた」という言葉が実現されます。」(第一コリント15:50-57)。この第一の復活は、信仰深いクリスチャンたちが生命を受け、神の子供として永遠の命を与えられるという希望です。
第二の復活と大いなる白い御座の審判
第二の復活とは、物理的な生命によみがえる復活です。第一の復活で生命を与えられた者たちは不滅の霊的存在となりますが、第二の復活では物理的な生命によみがえるのです。第二の復活と大いなる白い御座の審判については、聖書の中でいくつかの場所で言及されていますが、最も有名なのはヨハネの黙示録20章11-14節です。使徒ヨハネは、幻の中で次のように書いています。「わたしは、大いなる白い御座と、その上に座すかたとを見ました。そして、地と天とから、その前に立つようになった死者たち(小さき者も大きき者も)を見ました。死と陰府とは、それに住んでいた死者たちを与えて、その死者たちは自分たちの行いにしたがって、その書物に書かれていることによって審判されました。海もまた、それに住んでいた者たちを、それとともにして死者たちを与え、そして、一人一人の行いにしたがって、その死者たちが審判されました。」(ヨハネの黙示録20:11-13)。この箇所は復活を明確に述べており、死者たちが神の前で立ち、そして審判を受けることを示しています。
復活とは何か
第一コリント15章によれば、復活とは死者が生命を取り戻すことを意味します。第一の復活では信仰深いクリスチャンたちは不滅の霊的存在となりますが、第二の復活では物理的な生命を取り戻すのです。この物理的な復活についてはエゼキエル書37章でも詳しく説明されています。エゼキエルは幻の中で骨の谷に立たされ、非常に乾いた骨が多くあるのを見ました。次に、「わたしに啓示がありました。「この骨に預言して、骨よ、主の言葉を聞け」と言いなさい。主なる神はこう仰せられます。「わたしは息をあなたがたのうちに入れます。そして、あなたがたは生きるでしょう。わたしは筋を結び、肉をはえ、皮でおおい、息を吹き込みます。あなたがたは生きるでしょう。わたしが主であることを知るために。」 (エゼキエル書37:4-6)。この箇所は物理的な生命への復活を示しています。
第一の復活の時期
第一の復活は最初の復活としても知られており、第二の復活よりも一千年早く起こります。ヨハネの黙示録20章5-6節では、次のように述べられています。「すると、彼らのうちの、ほかの故人たちは、千年の期間が終わるまでは生き返りませんでした。」この箇所からわかるように、ここでは二つの異なる復活が示されています。忠実なクリスチャンたちは、キリストが再臨したときに最初の復活で生き返りますが、その間に亡くなった他の故人たちは二千年の期間が終わったときに復活するのです。
不滅の霊的存在への復活
第一の復活で生き返る者たちは不滅の霊的存在となります。使徒パウロはヘブル11章35節で、信仰によって死んだクリスチャンたちが不滅の子供として生き返り、決して死ぬことのない神の家族に変えられることを説明しています。しかし、第二の復活は物理的な生命への復活です。第二の復活で生き返る者たちは死に従属する存在となります。エゼキエル書37章でこの物理的な復活が詳細に説明されています。
審判の時期
第一の復活は信仰深いクリスチャンたちの審判の時期です。彼らが最期まで忠実に耐え忍ぶことによって救いを受け、永遠の命によみがえるのです。しかし、第二の復活は生き返った者たちが、その行いによって審判を受ける時期です。彼らの行いは聖書に書かれていることに基づいて判断されます。ここで言われている「書物」とは、ギリシャ語の「Biblia」という言葉から派生したもので、聖書のことを指しています。この聖句は、これらの個人が聖書の教えによって審判されることを示しています。このように、第一の復活の時期には信仰深いクリスチャンたちが審判を受けているのに対し、第二の復活の時期には生き返った者たちが聖書の教えに基づいて審判を受けるのです。
無知の状態で死んだ者たちへの希望
第二の復活と大いなる白い御座の審判の時期は、神の真理と人生の道について無知な状態で死んでしまったすべての人々に希望をもたらします。これには、歴史を通じて大多数の人間が含まれます。ほとんどの人間は、イエス・キリストの名前すら聞いたことがないまま生き、死んでしまったのです。他の人々は、イエスに関する間違った福音しか聞いていないかもしれません。これらの人々には、大いなる白い御座の審判の時期に救いの機会が与えられます。すでに述べたように、第一の復活は今生において神とイエス・キリストに降伏した人々から成り立ちますが、第二の復活ではこの真理を本当に理解する機会を持っていなかった人々が審判を受けることになります。
第二のチャンスではない
第二の復活は、肉体的な復活によって生き返った人々がイエス・キリストを知り、悔い改めて彼を受け入れるか、自分の道を選ぶ最初の本当の機会です。実際、神はすべての人々をこの生涯においてイエス・キリストに呼び寄せているわけではありません。イエス・キリスト自身が言ったように、「父によってそれが許された者以外は、だれもわたしのところに来ることはできない」のです。これが、今生および歴史の中でほとんどの人間が真に神とイエス・キリストを知らなかったり、従わなかったりする理由の一つです。しかし、神は公平で、人を偏心的に扱うことはありません。ペテロの手紙第二3章9節はこう言っています。「主は約束を守る際限ない忍耐をもち、滅びを望まれず、すべての人が悔い改めに至ることを望まれています。」神はすべての人々を救い、真理の知識に至ることを望んでいます。第二の復活の時期においては、イエス・キリストを知らなかった人々、特にイエスの時代の人々やニネベ、ツォルとソドムの人々も同じ復活の中に立ち上がることになります。もちろん、この時期に生きたことが罪であることが明らかになるでしょうが、彼らはイエス・キリストの血による赦しと神の道への悔い改めの機会を持つことになります。第二の復活は、この目的のために設計されたものです。神は人類に自由意志と選択の能力を与えるため、イエス・キリストを受け入れない人々もいるかもしれません。しかし、神は人々が真の救いの機会を持つことを確実にしてくださるでしょう。そして、ほとんどの人々にとって、この復活こそがその機会であることになります。