#TBT レフラウアー・レフラー・エシュコシュカ
目次:
- イントロダクション
- ミュージックビデオとプロデューサーの役割
- 独自の言語とスタイル
- ヒット曲の裏側
- マーケティングとブートキャンプ
- ファンの評価と注目される可能性
- シングルとアルバムの違い
- レコード業界の変化
- プロデューサーとしての成長
- 今後の展望
イントロダクション
🎤MARK WALDER「What up world、It's your boy Mark Walder」です。今日はスローバックサーズデーエピソードで、同席しているのはBABY PAUL B PEEZYです。お元気ですか、兄弟?」
🎤BABY PAUL B PEEZY「ご機嫌よう、マイキング。お会いできてうれしいよ。最近どうしてる?」
🎤MARK WALDER「相変わらずだよ。お前と初めて出会った時、お前はビートマイナーズの一員だって知ったんだけど、お前がどの曲に関わってたか分からなかったんだよ。お前って、DO OR DIE 2 か CROSSROADS かなんかに関わってたって聞いたよ。今年は本当に忙しかったみたいだけど、お前の制作クレジットを見たら、製作したレフレ・フライスコルスカ(FAB FIVE)の曲もあったんだな。」
🎤BABY PAUL B PEEZY「本当だよ、ニューヨークの皆がやってたようなことじゃないけどね。ニューヨークでは900番の電話番号をかけて、それぞれのビデオに対応する番号を選ぶっていう、ミュージックボックスみたいなものがあったんだ。フロリダでもそうだったけど、俺はビーチ出身だから、DCエリア出身の奴だよ。まあ、それはいいけどね。面白い話をすると、誰もがその曲を知っていながら、俺が制作したことを知らない人たちもいたんだよ。それは全く評価を下げるつもりはないけど、ビートマイナーズの一員であるイーブル・Dとミスター・ワルトたちにシャウトアウトするべきだね。まあ、俺の大学だからね。音楽制作なんかも、家族みたいなもんだったからね。」
ミュージックビデオとプロデューサーの役割
🎤MARK WALDER「具体的には、制作の話をすると、例えば人々が気に入った曲は何度も何度も流れることがあるよね。例えば、サグガーズ・ラガード・ボーンの曲が出た時、150回も流れたから、何度も見れなかったよ。それがフレイフライスコルスカでは苦痛じゃなかったけど、いつもかかっていたからね。それは、違ったサウンドだったから。ラッパーたちがそれぞれ自分のバースを持っていて、曲の後半ではバースを交換するっていう、レコードで初めて見たことがあったな。当時のDCで聞いたことのある限りでは、そのような制作はなかったんだけどね。」
🎤BABY PAUL B PEEZY「まさにその通りだよ。それがストリートのエナジーだったんだけど、同時にライフアンドブリージーな感じでもあったよね。お前が言ったような、それはまるでローレル&ハーディみたいなものだった。キャラクターたちが曲のビデオでハードに行動するのと同じように、ジャージを穿いたおじさんがインナーでハードに行動するって言っていたよな。それはストレート・ワンダーにシャウトアウトしたかな。さらにはショーン・プライス、別名ロッカフェラそう、彼も亡くなったんだ。ブルックリンを代表する伝説的なリリシストだったんだけど、ブートキャンプを代表していたんだ。なかなかいい時期だったよ。ちょうど最近の1年半くらいで、ビートマイナーズの一員として名前が知れ渡り始めた時期だったからね。1995年、1996年くらいだったかな。テカンスティルのファーストアルバム、スミス&ウェッソンの制作に参加したんだ。3曲制作したね、おれの音楽プロデューサーとしてのデビュー作だったからね。その後、ビートマイナーズのリードでデモ音源や、OGCのためのいくつかの曲もデモ録りしたよ。ブルックリンの、特殊スタジオスペシャルエドにいって、OGCのデモを録音してた。特殊エドにシャウトアウト。その頃、スチールはDuck Down Recordsとの契約対象になっていて、パイオニアーレコードとのビジネスを進めていたんだ。だから、バズを作るためにテスト音源をリークしようと思ったんだ。まだデジタル化が進んでいない時代だからね。Instagramなんてなかったし、マイスペースすらよく分からないや。だから、その地域のリスナーや、音楽マニアに情報を流し始めて、みんなに広めるためのためのミュージシャンや有力者に代わって、コミュニティの仲間が発信するためのトレンドセッターたちを見つけ出すために、テスト音源を作るってことさ。ホワイトレーベルって言うんだ。プライオリティ・レコードとの契約をする前に、そのホワイトレーベルとしてリリースすることになったんだ。ミキソにお金を支払い、カレッジラジオなどでかけられるようになった。それによってバズを作り出して、Duck Down RecordsとDuck Down Recordsは契約関係を持つようになった。そして、彼らは多くのレコードを制作するための予算を持つようになったんだ。だから、リルフライには、彼らのアルバムで5曲も制作させてもらったんだ。俺が彼らの音楽カタログを開発して、それが実績となり、PRを作って、評価が高まっていったからね。 DUCK DOWN LABELのアーティストだけでなく、このALBUMの中で自分が連携した曲を、他のアルバムの合計より多く制作したんだ。スミス&ウェッソンでは3曲、OGCでは3曲、ブートキャンプのコンピレーションでは2曲くらい制作したな。Duck Down Recordsとの作業関係の中で、スケルトンアルバムは最高傑作だった。」
独自の言語とスタイル
🎤MARK WALDER「その名前の意味は何ですか?」
🎤BABY PAUL B PEEZY「実は、それはショーンPに敬意を表して名付けられたんだよ。彼は独自の言葉遣いやスタイルを持っていて、ウィードを吸ってスタジオでハイになり、楽しんだり話したりするんだ。それを表現するために、彼がフレイフライスコルスカって言ってたんだ。あれはまるでフランス語みたいな言葉遣いで、彼が作り上げたんだよ。ビートマイナーズのキャンペーンでフェレットファイブのマーケティングツールが使われ、デリバリブルかつOGCのマーケティングツールにもなったんだ。WU-TANGのようにグループを組んで、後に独自のグループやソロアーティストが派生したようなものだったね。ビーバンガー、ビッギーマックのようなものだね。本人は2万ドルで売りつけていたよ。それによって、お互いのプレゼンスを高めることができたよね。」
🎤MARK WALDER「それはユニークなマーケティング手法だったんだね。成功した作品があれば、人々がグループアルバムを期待することもあるよね。」
🎤BABY PAUL B PEEZY「その通りだよ。一部のファンが、ヘルシースケルトンOGCの両方の曲を収録したアルバムを作ってくれたら面白いと思うよ。ヘルシースケルトンOGCのB面曲やリードシングルとして知られていない曲も含めて、彼らの音楽のカタログから選曲するんだ。それに合わせてカスタムデザインのアートワークを作って、当時のムーブメントに敬意を表してほしいね。そんなどんな作品が以前にも制作されたことがあるかな。特にヨーロッパだとね。ヨーロッパでは本当に質の高いヒップホップ音楽を独自にキュレートしているし、文化やアートに対して敬意を持っているんだよ。もしこのインタビューを見ている誰かが、自分の領域でそのようなアイデアを持っていたら、ぜひ教えてほしいな。Instagramで連絡してくれ。Baby Paul B Peezyだよ。ぜひやってみてほしいな。」
ヒット曲の裏側
🎤MARK WALDER「最後になるけど、俺が言っていることに気が狂っていると思うかな?俺はこの曲で最高のパフォーマンスをしているのはROCKだと思うけどな。」
🎤BABY PAUL B PEEZY「全く同感だよ。疑いようのないことだね。おそらくROCKが全ブートキャンプの中で最も強力なリリシストだった。彼らはみんな才能があり、それぞれ特色があったけど、ROCKは歌詞のセンスや曲作りのスキルが抜群だった。メタファーやサイズ、ショーンPは本当に凄かった。ビデオでも存在感を示していたし、マジシャンでもあったよ。彼は冗談好きだけど、真剣な一面もあって、ストリートの人間だから冗談を言ってると面と向かってパンチを食らわせることもできた。彼は曲のタイトルを思い付いたし、それだけでも十分な意味があるよ。この曲って、「The Fu-Schnickens(フー・スニッカン)」っていうんだ。フー・ファイブとしてもマーケティングツールを使って、ヘルシースケルトンOGCとしても知られる存在だったんだ。ただ、その曲の成功によって、人々はグループアルバムを期待していたことが少し残念だったね。」