死者の審判と永遠の命
目次
- 概要
- 啓示録について
- 第20章:12-15節の解説
- ダニエルにおける予言の関連性
- 道徳的な人生の意義と価値
- 死後の審判と永遠の命の本
- 地獄と永遠の死
- 神の審判と信仰の報い
- 天国への入り口と永遠の安全
- 結論
第20章:12-15節の解説
🌟死者が審判の前に立つ
この章では、使者が大いなる審判の前に立っている死者たちを目撃します。彼らの前には書物が開かれ、そしてもう一つの書物、いわゆる「命の書」も開かれます。死者は自分たちが行ったことに基づいて判断されます。海から出てきた死者、死とハデスから出てきた死者も同様です。各人が自分の行為に従って判断を受けます。死とハデスは「火の池」に投げ込まれ、これが「第二の死」です。命の書に名前が記されていない場合、この火の池に投げ込まれます。
🌟ダニエルにおける予言との関連性
この章の内容は、ダニエル7章の9-11節と一致しています。ダニエルの幻の中で、玉座が配置され、至高者が座り、その恐るべき姿が描かれています。火の川が玉座から流れ出し、数え切れないほどの大勢の使者が仕え、玉座に立っています。また、書物も開かれ、審判が行われます。この審判によって、反キリストの支配が取り除かれ、永遠の王国が聖徒たちに与えられることが示されます。
🌟道徳的な人生の意義と価値
この章は、私たちにとって非常に重要な教訓を提供しています。私たち一人ひとりが人生に関する書物を持っていることが分かります。詩篇139篇でも同様のことが言及されています。また、私たちの人生の書物と共に必ず存在するのが「命の書」です。この書物もまたイエス・キリストの象徴であり、神の啓示であることがわかります。私たちが命の書に記されているということは、私たちが神によってアクセプトされており、神の啓示の中に位置づけられていることを意味します。
🌟死後の審判と永遠の命の本
死者たちは、自らの行為によって判断を受けます。彼らの感情や行動、目標や努力、そして書物に記された内容に基づいて判断されます。また、イエス・キリストの再臨時には、肉体的に死んだ人々も神の審判に臨む必要があります。それ以前に命の書に記されていない人々は「永遠の死」すなわち「第二の死」に至ります。この段階では、地獄への永遠の追放が確定します。永遠の死は、地獄で自己と向き合い続け、完全な闇と絶望、苦痛と苦しみの中に位置することを意味します。